きっと元気になる、一人呑みもイベント参加も楽しい! だれかの明日を応援するお店「スナックどんまい!」
明倫小学校から田町商店街へ。イベント施設JOY201を横目に歩いて行くとサウスビルがある。
階段で2階まで行くと、奥に「スタンドバー由利」の看板。
すぐ下で、オレンジ色の旗が揺れている。
旗の方に向かうと、「はちわれ」がちょこんと載ったメニューボードが見える。
さらに進むと『どんまい!』の暖簾がかかっているので、安心して入ってみてほしい。
常連さんからは「のんちゃん」と言われている店主の生利さんが、ハキハキと、それでいて温かい口調で、「いらっしゃい!」と出迎えてくれた。
復興支援を11年。一大決心。地元萩を離れる
岩手県にいらっしゃったんですね。
萩のご出身で、なぜ岩手に住んでいたんですか?
岩手県には、2012年の1月に初めて行きました。
カトリック系の団体から募集が出ていた復興支援ボランティア。
全部で3日間、2日は移動、作業は1日だったんだけど、作業当日は天候が悪くて中止になっちゃって。
「こんな遠くまで来たのに、何もせずに帰るんだ」と思ってモヤモヤして。
萩から岩手はかなり遠いですよね。
そうです。
結局、岩手で一泊しただけで終わっちゃったんだけど、帰りに神父さんが最寄り駅まで送ってくださって、数万円が入った茶封筒を渡してきて「これでまた来い」って。
もう直感的にここに来なきゃいけないなって思って、2ヶ月後の3月から岩手に住むことにしました。
人生を変えた出会いだったんですね。
そこから10年以上も、地元を離れて活動されることに不安はなかったんですか?
とにかくすぐ行こうと思って。
仕事もやってたけど辞めて、あんまり先のことは考えずに。
いつまで岩手にいるかもわかんなかったし、私の中では2、3年と思ってた。
実際には、復興は進まないし、住んでるうちに友達とか知り合いとか増えて帰りづらくなっちゃって。
元々お仕事は何をされてたんですか?
萩のカフェジャンティークで働いていました。
その後、光市でおばさんがやっている鉄板焼のお店を手伝っていたんです。
長くいた岩手から萩に帰るきっかけは何かあったんですか?
萩のことはずっと気になっていたんです。親もいるしね。
だけど、街の復興は進んでいても、人とのつながりはまだ戻ってきてないから、自分の中では目標の達成ができていないっていうモヤモヤもずっとあって。
それで、萩に帰るタイミングを全然掴めなくって。
街が物理的に復興しただけじゃ、復興したとは言えないですよね。
やっぱり、人とのつながりがあってこその復興ですね。
そういった意味の復興の一つとして、復興支援に行ってから8年ぐらい経った時に、その街の中心部に、復興のシンボル的な図書館とか、フリースペースとかがある、色んな人が使える文化交流センターっていうのが建てられたんです。
で、そこの管理と運営を任せてもらって。
初めて岩手に行った時の「ここに本当に人が戻ってくるんだろうか」って状態から、公共施設で子供からお年寄りまでが毎日行き交っている様子を見て、なんかやっと日常に戻ったんだなみたいなのを感じて。
自分の見たかった景色が見れて、自分は十分やったな、役割を終えたなと思って。
それが萩に戻るきっかけだったかな。
岩手県大槌町の文化交流センター
萩に戻り、ピースフルな居場所をつくる
萩に戻られて、すぐに「どんまい!」をオープンされましたが、なぜスナックを始めようと思ったのですか?
スナックって、ママさんが男性をもてなす場所、ちょっと大人の場所ってイメージが強かったんですけど、岩手にいる時、「スナックっていいな」って思ったんです。
何もないところから頑張って復興、お店も再建していってるんです。
だけど、復興中だからそんなに行くとこもなくて。
だから、みんなスナックに集まってたんです。
復興が進んで、日常が戻ってきたんですね。
そんな中、スナックが居場所になったんですね。
そうそう。街が戻ってきたというか。
若い人も年寄りも偉い人も、みんなそこに行けば平等だし、 なんか「スナックってすごいハッピーで、ピースフルな場所なんだな」と思って。
確かにスナックって、人が集まって分け隔てなく話ができる場所ですよね。
そう。だから、こんな場所がいつか作れたらいいなっていう夢ができました。
だけど、人と関わる仕事をずっとしていたんで、もう人から離れて農業とかをしようかなって思って、仕事を探してたんです。
そんな時、ずっと気にかけてくれていた友達に「スナックをやることがうちの夢なんよね」って話したら、「もう絶対やった方がええ!」って。
その子が、すごい背中を押してくれて、貸店舗の管理の人に繋いでくれたり、銀行の人を紹介してくれたり、そういう感じでバタバタバタっとスナックをやることが決まっちゃって笑
やるしかないみたいなところまで、ガーッと進んじゃったんですね笑
流れに任せて、5ヶ月で準備して、10月にオープン。
めっちゃドタバタですね。
お金もなかったし、何もわからず、何の経験もない、だけど想いだけはある!みたいな笑
お酒関連の仕事は、あまりされたことがなかったんですか?
お酒を飲むのは好きだったんだけど、知識もないし、経験もなかったんです笑
お酒結構飲まれるんですね。
飲んでましたね。
岩手でだいぶ鍛えられて。
なんでもない時でも、日本酒をみんなで飲むって感じでした。
東北ってお祭りが盛んなので、その時ももちろん飲むし。
復興のお手伝いをされる中で、一番嬉しかったことはなんですか?
知り合いとか友達を作る機会があって。
ずっと仕事ばっかりしていたんだけど、9月に大きい秋祭りがあったんです。
ちっちゃい町なんだけど、結構規模の大きい郷土芸能があるんですよ。
手踊りっていうのがあって、それに参加できるらしいって聞いて。
外部の人も参加できるお祭りなんですね。
お祭りの1週間前に練習の集まりがあって、初めてその地域の人と出会って。
すぐ参加できるもんだって気軽な気持ちで行ったんです。
だけど、参加した団体は、震災で踊り子さんも亡くなって、衣装なんかもなくなってしまって、震災以降お祭りに出られなかったわけ。
この年(2012年)からようやくお祭りに自分たちも復帰できるぞっていう時で、なんかもう熱気がすごくて。殺気立ってるというか…
「やばい、私なんかが来るとこじゃなかった…」って。
場違いな空気だったんですね。
結局、どうされたんですか?
みんな必死なんだよね。
1週間前だし、踊りも結構難しい踊りを踊ってるし。
私としては、ちょっと踊りたいなって程度の気持ちで来たもんだから、
「踊るのはやめときます。出来ることがあればお手伝いします。」って
そんなふうに隊長さんに言ったら、なんかすごい怒られちゃって。
「踊りたいっていって来たんだったら、最後までやれ!」って。
それで、ほんとにもう朝から夜中まで動画を見ながら踊りの練習をしました。
参加を決意して、練習されたんですね。
お祭りの前日に、お祭り当日に踊らせてもらえるかどうかの判定があって、踊れるなら「半纏」がもらえるんだけど、その時に、
「下手で目立つけど、 今まで外部の人が来てくれたことはなかった。
震災がなかったら、こんな外からやって来てお祭りに参加する人とかもいなかったし、こうやって一生懸命やってくれたっていうことがものすごく嬉しかったから、一緒に半纏を着てくれ。」
って言ってもらえて。
その後から、もう3日に1回ぐらい電話がかかってきて、お酒飲むぞみたいな感じで、そのお祭りの人たちがすごい声をかけてくれるようになって。
それでようやく地域に溶け込めたなっていう感じがして、嬉しかったかな
地域に根づいたというか、人と人とが繋がってしっくりきたんですね。
逆に1番しんどかったことはなんですか?
ストレスで20キロぐらい太ったことかな笑
笑
飲むしかないんだもん。
内陸とか行けば、それなりになんかあるんだけどね。
プライベートと仕事の区別がつかないような感じでもあったし。
他のボランティアさんの食事とか寝床とかのお世話をしなきゃいけない仕事だったから。
それこそ朝早くから夜遅くまで。
町には重機が走り回ってて、空気もあんまりよくないし、気も休まらないし。
ボランティアの人も色々なタイプの人がいるしね。
自分は効率を求めたりして力入りすぎちゃって。
そういうのが、活動時代はしんどかったかな。
精神的なストレスが結構あったんですね。
明るく前向きに。どんまい!
最後に、店名の「どんまい!」の由来について教えていただけますか?
岩手にいる時になぜか降ってきた言葉で、将来自分が何かやる時には使いたいなと思ってました。
自分のモットーでもあり、「どんまい!」じゃ済まないこともありますが…
明るく前向きな言葉として飛び交っていけば素敵だなとイメージしてつけました。
萩nonta的レビュー
とにかく人がひっきりなしに訪れる人気店。
アグレッシブで魅力あふれるのんちゃんからパワーをもらえる。
萩で色々な人に会いたい人、会話を楽しみたい人は必ず寄るべし。
しっぽり飲みたい時は平日が良いかもしれない
お話のアテ
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マッスル
岩手では20キロ太っていたらしいが、現在はバキバキ。
2025年にはボディビルダーの大会にも出場。
マラソンにも参加する。
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萩でのこれから
萩の各地で精力的にイベントに参加したり、神輿を担いだりしている。
萩の文化を残していかにゃいけんと燃えている。